ここは、とある遊郭。
 ここら辺にある遊郭の中でも、飛びぬけて巨大で、多くの遊女たちがいた。一人一人の質がいいと、評判も高い。

「来乃」

 上品な造りの廊下で、赤みがかった髪をした少女が、同じ年頃の少女に声をかけた。二人とも、年の頃は十代半ばのようだ。
 来乃と呼ばれた少女が、何だい、と答えると、赤毛の少女はうんざりとした顔で、

「まあた来たよ、あの男の人。案の定、来乃を墓碑名してきた」
「……ご指名?」
「そうそれ」
「わかった。すぐに行くよ」

 そう言うと、来乃は小走りに客間の方へと去って行った。

「裾踏んでつまずかないよう…」

 赤毛の少女が、皆まで言い終える前に。
 ずたーんっっ。

「……」

 少しして、来乃は身を起こすと、少しだけ乱れたきらびやかな着物と髪を整え、また小走りに、ただし、さっきより少しだけ遅めに去って行った。
 赤毛の少女は、ただただため息を吐くのみだった。



「失礼します」

 滑らかに、丁寧に襖を横に移動させる。来乃の目線の先には、よく見知った顔があった。その顔は、来乃の姿を認めると、穏やかな微笑を浮かべた。

「待っていたよ、来乃さん」
「こんばんは」

 淡々と、来乃は挨拶をする。男は、質素ながら、上品な緑色をした着物を着ていた。
 彼は、この遊郭…というより、来乃の常連客だった。相当気に入っているのか、毎日来乃の元を訪れている。来乃が酌をしようとすると、男はその細い手首を少し強く掴んで、

「お酒はいいよ」

 そう言うと、来乃を素早く後ろから抱き締めて、

「口の中が酒くさくなるからね」

 来乃のすぐ耳元で囁く。少し熱のこもった息が耳にかかる。

「私は君さえいれば、それでいいんだ」

 そうこともなげに言うと、そっと来乃の耳を噛んだ。

「…ありがとうございます」

 淡々とした声。『いつものこと』なので、動じたりはしない。来乃を抱き締めていた腕が、片方だけ離れた。その指は来乃の頬、首、鎖骨と、

「ところで」

 流れるように伝っていき、懐へ潜り込んで、

「例の件は考えてくれたかな?」

 何かを手探りで探すように蠢く。

「……身請けの件、ですか?」

 ふ、と短い息が首筋にかかる。男は苦笑していた。

「身請けというよりは、求婚と受け止めて欲しいんだけどな」

 少し困ったような声で言う。同時にしゅるっ、と歯切れよく、着物と帯が擦れ合う音が響く。

「…どちらにしても、お断りします」

 来乃は、きっぱりとそう言った。帯が取れた途端に、着物が下着ごと重さにより下へと少しだけずれ落ちる。
 白くて華奢な、よくこれで重く大きい着物が着れたなと思うほどに、華奢な肩が露わになった。

「こんな言い方は、何だけど……君に不自由をさせたりは、しないよ?」

 男は来乃の首筋から肩、うなじにかけて口づけをする。指は、来乃の肌の上を乳房の輪郭をなぞるように這っている。時折、その突起や胸と胸の間の骨を愛撫しながら。手の動きが大きくなるとそれに引っ掛かっり、来乃の着物がさらにするするとずれ落ちていく。最後にはすとん、とあっけなく畳の上に落ちた。下に着ていたものも一緒に落ちてしまったので、来乃は一糸纏わぬ姿となった。男は、来乃を畳の上に広がる着物の上に、優しく横たえた。そして、来乃に覆いかぶさるように両手をついて、

「……駄目、かな?」

 と、再び苦笑して言った。しかし、その顔からは真摯さが覗ける。来乃は他人事のように、男を見つめていた。しばらくして、来乃は口を開いた。

「あなたの言いたい自由は、ボクにとっては不自由なんですよ」

 今までと変わらず、淡々と答える。

「誰か、特定の人と一緒に暮らすとか…そういうのは、ボクには向いていないんです」

 男は、しばらく来乃を見つめていた。来乃もまた、同様に。やがて、男は深くため息を吐いて、来乃から身を離した。

「……これからなのに、そう言われると続ける気になれないな」

 そう、小さく呟く。『その言葉は、少なくとも今は聞きたくなかった』という言葉が、明らかにその呟きに含まれていた。

「…すいません」

 客の気分を削ぐことをわかってはいても、嘘は言わない。それが来乃の遊女として不評な理由であり、好評な理由でもあった。男は弱々しく微笑んで、

「いや、いいよ。変に期待してしまうよりは遙かにましだ」

 来乃を抱き起こし、着物を羽織らせてやった。
 そうした途端、

「でも、」

 いきなり来乃に顔を近づけて、

「だからと言って、諦めるつもりはないからね」

 そう不敵に言って顔を離すと、くしゃっ、と来乃の頭を撫でた。

「また来るよ」

 男はそう言い残して、その夜は去って行った。



「……静さん、帰っちゃったな」

 自室で休んでいた来乃はその日初めて男の名を口に出した。

「来乃って馬鹿だね。ぼくが来乃だったら、喜んで身請けしてもらうのに」

 隣にいた赤毛の少女が呆れたようにいう。

「……枝瑠、静さんのこと好きだったっけ?」
「そうじゃなくて。毎日会いに来るくらいすごい金持ちで、その上好きな男ならついていく、ってこと」

 きょとんとした来乃の頬を枝瑠は引っ張って、

「な〜ん〜で〜『好き』なら好きって言わないのさってことだよ、鈍感!」

 と、言って頬から手を離す。来乃は不満げに、

「……何で、ボクが静さんのこと好き、ってことになるんだよ?」
「だって、最後帰るときに、キスされなかったのが不満なんだろ?」
「……そうだけど、それだと、好きってことになるのかい?」

 だめだこりゃ。
 来乃は気がついたら遊郭にいたってくらいの少女だ。
 キスや、抱かれることに、特別な意味をあまり見いだせないのは、従来の気質もあるだろうが、やはり環境も環境なのかもしれない。
 枝瑠はそう思って、それ以上何も突っ込まなかった。



 彼の元へ行けないのは、何となく関係が崩れてしまうのではないかという不安があるから。
 それなら。
 今までどおり、このままでいいと思う。
 このまま、遊女と客の関係で十分だと思う。
 彼が、自分に飽きてしまうのではないか、という不安まで考える思考は、無意識の時点であえて捨てている。

「…また来てくださいね、静さん」

 そう、彼女は無意識に呟いていた。



end.



突っ込みたいことは山ほどあると思います。
ええ、何でエルメスが女なんだよとか、キノさんほどの人が遊女でおさまるわけないじゃんとか、キノさんなら遊郭なんて逃げるに決まってるじゃんとか、お前遊郭わかってないだろとか、そもそも恥ずかしすぎだってのとか。
すいません。許してください。でも楽しかったです。でも恥ずかしいです。

これを打ったのはいつだ…安心だフォンだったころだよ…!(滝汗)
何故か、妙に遊郭にハマってたのは覚えてる。
ちなみに、木乃じゃないのは仕様です。ヴンコと区別するために。
本当は静も変えかったけど、いいのが思い浮かばなかったため断念。



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